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きもの情報誌『月刊アレコレ』編集長のきものと締め切りの日々。

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「きもの展」で気になった袴

#きもの展」が終わりちょっとロスな私(笑)。

とにかく物量がすごくて素晴らしくて、

入ってすぐの鎌倉時代の国宝の小袖からはじまり、

そして室町、安土桃山、江戸と、

ここまでの第1会場で時間とエネルギーを

使い果たしてしまっていました(笑)。

 

鎌倉鶴岡八幡宮所有の国宝・御神服5領のうちの

2領が前記と後期で展示されていました。

入ってすぐのところで、初っ端がこれだから

もう時間とるのはまちがいないわけです(笑)。

(装束の助数詞は(5)枚ではなく(5)領といいます)

 

この国宝の小袖は身頃の幅が左右違うのです。

気が付きました?

こちらです。前期展示の窠霰(カニアラレ)の袿↓ 図録から

IMG_2465.jpg

 

 

こちらが後期展示の小葵凰文の袿↓

IMG_2464.jpg

 

研究者の友人が言うには、

理由はよくわかっていないとのこと。

布を無駄にしない仕立てだったのではないか……と。

寸法が普通より大きいのは神様に

差し上げる御装束だからということです。

 

1回目(プレスリリースも入れると2回目)は

文学者であり装束研究者の友人と

行ったので、まあ、興奮(笑)。

 

そんな風だから第2会場は

「閉館まで分です」とのアナウンスで

駆け足で通り過ぎただけになりました(^_^;)

第1会場の展示は語ると尽きないのですが、

また次のブログででも。

 

4回目にしてやっと近代、現代の第2会場を

まともに見ました。

この中で高畠華宵の六曲一双の屏風図

「移り行く姿」(昭和10年)

ご覧になりました?

IMG_2460.jpg

 

これは印刷物などで結構部分的に使われているので

見覚えがある方も多いと思います。

これは四季とともに移り変わる

女性風俗を描いたもので、

婚礼あり、女学生あり、水着ありで

当時のファッション情報満載の屏風図です。

 

この中で気になっている点があるのですよね〜。

皆さん、気づかれたでしょうか。

たくさんあるのですが、

いちばん目につくのが袴の女学生。

 

4人います。4人とも靴です。

まず、座っている女学生が袴にベルトをしています。

このベルトはあまりおどろきません。

というのは、この女学生は

東京女子高等師範学校附属高等女学校

(現・御茶ノ水女子)の学生だなとわかるからです。

 

御茶ノ水の制服は今でもこのベルトが制服の

一部として取り入れられています。↓

御茶ノ水女子付属2.jpg 御茶ノ水女子制服日本画.jpg

 

御茶ノ水女子制服3.jpg

 

で、お茶学生の上にいる、メガネっ娘少女。↓

彼女もベルト。しかしデザインがお茶ノ水ではありません。

じゃあ、おしゃれ? いえ、これは多分校章です。

ファーに隠れ気味でちょっと見にくいですが。

(というか、制服にファーって!?ww)

IMG_2264.jpg

 

袴をいち早く制服に取り入れたのが跡見女子。

式服としては黒紋付に袴を着けるスタイルです。

これが1899年(明治32年)。しかし式以外は自由なものでした。

やがて平常服、つまり制服として制定されたのが

1915年(大正4年)、女学校初の制服でした。

しかし跡見はベルトがありません。

 

その後の制服として袴を取り入れた学校は

校章を付けたという記述や資料があります。

お茶ノ水のようなベルトではなく

バックルのようなタイプで、

袴の紐に通して付けていました。

 

三輪田学園の画像が残っています。↓

三輪田袴ハ?ックル.jpg

こちらも高畠華宵の絵。

もはや制服、袴というイメージが払拭されてますが(笑)。↓

高畠華宵袴ハ?ックル.jpg

ということで、メガネっ娘学生の

ベルト(バックル)の謎は校章です。

ところで、このメガネっ子学生、

アームウォーマーもしています。

これももう古い絵葉書でみたことが

あったので、そう驚きません。↓

(「明治の美人画 絵はがきに見る明治のエスプリ」より日眦莉画)
明治で、すでにあるのです。

 

アームウォーマーは一部でしょうが

すでにあったのですね。

アームウォーマーとは言わなかったと思いますが(笑)。

 

そして靴。つまり制服としての規定が

「靴」であったと考えるべきでしょうね。

 

次、その隣に行きます。緑のダブルリボンの女学生。

彼女も靴。そしてここでの注目ポイント!

袖口を見よ!

IMG_2264.jpg

フリフリな袖口が覗いているではありませんか。

そう、きものの中にフリフリブラウスをインしているのです。

ちょうど男子学生がハイカラーのシャツを

下に着ている感じですね。

 

このフリルイン女学生の胸元がどうなっているのが

すごく気になりますが、絵では見えません、残念……ですが、

しかし、上で紹介した高畠華宵画の

制服の袖中を見よ!

 

この葉書もブラウスインしてますよね。

しかし、上の絵葉書の衿合わせは

普通にきものの衿合わせです。

ブラウスは完全に下に着ていたようですね。

さらにその右隣の女学生。

彼女こそが謎中の謎なのです!

繰り返しますが、めちゃ、謎なのです。↓

IMG_2264.jpg

 

だって、袖口見てください。

こちらもフリルですが、先の女学生のように

インしているのではないのです。

きものの袖、そのものがブラウスの袖、

そのままのかたちとして付いているのです。

もちろん、きものと一体化しているので同布です。

これはどう分析すればよい???

 

昔から袖は動きやすいように、

袂を短くした薙刀袖(舟底袖ともいいます)は

よくありました。

小袖も下働きや手伝いとして立ち働く

女性の袖は動きやすいように薙刀袖でした。

 

袖に対して、そのような合理的で柔軟な

考え方をするのであれば、

それが究極、ブラウスの袖になったとしても……

かたちがきものであれば

きものといえなくはない(ぺこぱ風)ww

 

とにかく、どう見ても袖口だけ

絞っているという感じではなく

「ブラウスの袖」なんですよね〜〜。

これが謎すぎて謎すぎて、タノシイ!(≧▽≦)

 

温故知新。

私たちが思っているより、きものはずっと自由で、

ずっとおしゃれで、ずっと工夫されていたとつくづく思います。

きもののルールは面倒、難しいという考え方が多いのですが、

普段着はほんとうに自由だったのだなと思います。

 

思うに、洋装化の過渡期というのも

後押ししたのではないかと思うのです。

 

文字とおり、和洋ミックス。

男性のきものに帽子やインパネスという

洋風コートも当時のスタイルとしておなじみです。

これらは洋を取り入れる試みが

なされていた過渡期の現象だったのかもしれません。

昭和も後に下ると見なくなります。

きものはきもの、洋服は洋服という装いです。

 

ひとつ疑問は、洋を取り入れることに

先進的な意味合いをもたせていたのか、

それとも靴やブラウスをインするメリットや機能性を

なにか感じて取り入れていたのか……

ここはちょっとわかりません。

 

当時はまだ洋服のほうが高かったのと、

きものに慣れている体としては

きもののほうがずっと楽だったのです。

おもしろいですよね。

だから男性も帰宅すると、

洋服からきものに着替えるという

映画などでよく見る「波平さん」的な描写が多かったのです。

いまでは反対です。

 

 

さて、ここでひとつ問題提起しておきます。

絵画は絵としての見栄えを優先して

過渡な演出を描き込むことがあります。

実は資料とされる浮世絵も、エビデンスとされる

当時の新聞、雑誌でさえもそれがなくはないのですが、

そこは、点ではなく面で見る。

つまり、全体をみます。

 

過度な演出だとして、そして、1人の作家がしたことを

他の作家も、真似ることはあるかもしれないけど

すべてがそうとはいえません。

演出、デフォルメするにしても完全にデタラメではなく

基本があって、その基本を大げさに描く、

美的に描くということなので、

俯瞰すると見えてくることがあります。

研究者でもないのにエラソーですみません(笑)。

(でも一応、服飾系の学会に入っています(^_^;)

 

この屏風はほかにもとっても気になることが

いくつかあります。

当時の風俗を描いているので、

そこまで演出をねじ込んでいると思えません。

なので、それを考えると、

「え?」「これは……?」という点があります。

 

皆さんも図録を見てみてください。

 

本当は第1会場も語りたいことが

てんこ盛りあるんですけどねー。

 

図録でしばらくおかわりができそうです(笑)。

 

月刊アレコレはこんな服飾史がマニアックに好きで

きものや着付けにもやたらオタクな

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2020.08.28 Friday 03:48|-|↑ページの先頭へ

昔からある巻くだけの「巻き帯」考

月刊アレコレVol.165の特集、

「ほぼ結ばない帯結び」について投稿した記事の中で、

「巻き帯」について触れました。

 

最新号で紹介している帯結びは

背中がフラットなタイプが多いのです。

 

 

 

 

大阪の着付け師さんAyaAyaさん提案の、

「#帯結ばない帯結び」↓

 

お太鼓や羽根など、背中に装飾的な要素が

あるのが当たり前だったのに、フラット。

何もないということに、

抵抗がある方もいるかもしれません。

 

しかし、かつても背中がフラットな

巻くだけの結び方があったというお話を書きました。

 

えらい、長くなるので(笑)、

巻き帯については、こちらに別に投稿しました。

 

巻き帯は、昔、就寝前や、家の中で

楽に過ごすときに行われた結び方です。

つまり、本来、人前で見せる姿ではありませんが、

玄人筋の女性が巻き帯をすることがあったといいます。

 

樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭に、

吉原界隈の町並み描写や風俗を書き連ねている箇所があります。

 

俗よそとりて、

女子(おなご)の後きちんとせし人少なく、

がらを好みて巾の卷

 

この辺りの風俗は他所と違っていて、

帯を後ろできちんとかたちに結んでいる人が少なく、

柄が目立つ帯をただぐるぐる巻いているということです。

端は挟み込むか、突っ込んだだけの処理です。

 

つまり、大方は郭者で、床に客をとるときに

手間がない結び方ということです。

 

 

また、近松門左衛門の浄瑠璃を原作とした映画

「女殺油地獄」(1992)のなかで、

夜半に與兵衛(堤真一)がお吉(樋口可南子)を

訪ねるシーンがあります。

 

そこからラストの佳境に入っていくのですが、

そのときのお吉は“ちゃんと”“巻き帯”でした。

お吉は玄人ではなく、油屋の内儀。

商家の奥さんですが、リアルな就寝前の

シチュエーションとして、

巻き帯の演出をしたのでしょうね。

 

 

 

 

ところで、映画、よくあるある、が、

きもの自体がその人を表す記号になっていること。

 

夜中に自室にいるときでも日中のシーンと同じ、

お太鼓を背負ったきもの姿だったりします。

夜中の12時にベッドに腰掛けて

昼と同じきもので読書というのは

不自然極まりないのですが、

着るものが日常を表すものではなく、

その人である“記号”として

固定されることはよくあります。

 

戻って、「女殺油地獄」では、就寝前だけれど、

まだ寝間着ではない夜の家の中で、巻き帯です。

 

衣装考証がきちんとなされていて

それが、私的には、

“ちゃんと”“巻き帯”ということになるのです。

 

前号、月刊アレコレVol.164の「映画コラム・銀幕座」で、

「女殺油地獄」を取り上げています。

自分でいうのもナンですが、

ファンが多い隠れた人気コラムです(笑)。

よかったらこちらもぜひ。

因みに編集人みやざがイラストも描いています。(≧▽≦)

↓こちらが、「女殺油地獄」で描いた樋口可南子のお吉です。

 

 

というのが巻き帯のお話になりますが……

 

月刊アレコレの「ほぼ結ばない帯結び」特集は、

こういう昔からあった帯結びだから、

いまも巻くだけの帯結びを復活させてもいいだろうとか、

提案しているというのとはちょっと違います。

結ぶシチュエーションが違いすぎますから。

 

ただ、ラクに結ぼうと思うと、結局、

巻くだけという発想になるのは、

今も昔も同じだということです。

 

しかし、いま提案しているのは、

巻くだけの帯ですが、

コンセプトや、実践するシーンが全く違う、

現代の新しい巻き帯だと考えています。

 

 

 

皆さんも、月刊アレコレVol.165 で、

トランプ結びや#帯結ばない帯結びを

試してみてください。

めっちゃラクチンで、

絶対きものを着る回数が増えると思います!

 

 

 

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2019.04.02 Tuesday 22:32comments(0)↑ページの先頭へ

小袖ときものの違いは? そもそも反幅の寸法の違いが大きい

今日は反物幅のお話です。

 

仕事柄もあって、服飾史や衣に関わる歴史を

紐解くことが多く、またこのジャンルが大好きです。

とにかくおもしろい。

 

その流れで、有職故実や装束の着付けを勉強したり、

資料をもっと“スラスラ”(笑)読みたくて

江戸オタク(笑)のクリエイター仲間と

変体仮名の勉強会をしたりしています。

ちゃんと大学の専門の先生から教わってるんですけど、

覚え悪すぎて申し訳ないっす^^;

 

 

で、私が平安時代や有職故実、装束を勉強し始めたきっかけは……

 

きもののルーツが小袖とは誰もが知っていることだと思います。

小袖——安土桃山時代が思い浮かびますよね。

 

では、それ以前は? 

それ以前は、実は「小袖さんは下着だった過去をもっているんです!」

 

いえ、装束の下着だったということなんですけどね(笑)。

白小袖を一番下にきて、単衣や袿、

男性であれば袍を着けていきます。

 

 

つまり、きもののルーツをさらに調べたかったということなんですが、

なんか、きものと装束って切り離されていて、

あまり交わるところがないのです。それは現在も。

あまり歩み寄らない、というより、

「お公家さん」のお家の方々は自然に

お公家さん文化が染み付いているんです。

 

偉ぶっているということではなく

それが当たり前として受け継がれているので多分、ご本人たちは意識がないんです。

そういうお家は七五三も羽織袴ではなく、

半尻(はんじり)という狩衣に似た童子用の装束を着けて

深曽木の儀という、碁盤から飛び降りるという儀式をします。

悠仁様もやっていましたよね。

 

 

そういうお家のかたは、よその家のことは知らなくて、

うちのカレーが当たり前みたいな感覚だと思います。

いきなり庶民的例(笑)。

 

小袖やきものは主に武家で発達した経緯があるから、

装束は公家の血筋のものという認識があるように思います。

 

だからといってきものを着ている私たちはもちろん、

「武家」出身だからと言って着ている人なんていませんけど(笑)。

 

皇室の方の礼装は洋服、儀礼的な式典では袍や十二単、袴などの

装束で、きものでないのは「武家」のものだからという巷説があります。

 

ま、それはさておき。

大河ドラマなどの小袖と、実際の小袖はまったく違うということは

なんとなくご存知のかたも多いと思います。

 

どう違うかというと――

まず、当時の座り方の慣習から触れると、

当時はまだ「正座」という座りかたをしていませんでした。

片方を立て膝にして座ります。

この座り方は、ドラマでも出てくることはありますが、

ドラマで着ている小袖では立膝はできないはずなんですけどね。

 

どういうことかというと、いまのきものの身幅で

立膝で座ることって、どうしたってムリがあります。

裾が割れるはしたない姿になるはずです。

 

では、当時は裾が割れなかったのか、

開かなかったのか、ということになりますが、

そうはならなかったはずです。

 

というのは、きものの身幅寸法が、

当時と現代とはまったく違うからです。

 

現存する最古の小袖は室町時代のものですが、

この頃の寸法は反物幅が45cmもありました。

画像が粗いですが、その小袖がこちら。

 

 

 

以前、松坂屋のコレクションを地元名古屋で

初公開(「小袖 江戸のオートクチュール」展)したときに

取材に行って際いろいろ伺ったときのことです(Vol40)。

 

そのときの学芸員・野場さんというかたがきもの好きで、

資料から当時と同じ寸法のきものを、

ご自分で、ミシンでですが、仕立てています。

その寸法の元が、先に紹介した現存する一番古い小袖の寸法です。

「ブカブカなんです」。ブカブカとは、

当時の布幅は45cm。そこに衽も付きますから、

「裾周りが2mにもなる」という絵画の説明も頷けます

 

 

 

桃山時代の国宝で、狩野長信「花下有楽図屏風」に描かれたものです。

当時の小袖を忠実に描いているといわれる絵です。

スカート状態。

でも考えてみれば、対丈で立て膝をし、さらに立ち働くわけです。

現在、身丈の足りないきものを「対丈で着る」というときに、

必ず問題になるのが着崩れ。

さらにそういうきものは大体、身幅も狭め。

動いていると裾が割れてきます。

 

でも、身幅が45cm。裾周りが2m以上もあったら

そういう心配はありません。

それでも立ち働く時は、短裳(たんも)という、

前掛けみたいなものをしているのを、

みたことがあると思います。念には念を、でしょうか(笑)。

十二単の後ろに長く引く「裳」の

進化系? 退化系?(笑) もしくは超簡略バージョン?です。

 

なので、ドラマでは小袖の腰下はシュッとしていますが、

実際はスカート状態のたっぷり身幅でブカブカだったのです。

 

江戸時代に入って、取引上の公正さを帰するために、

1625年、絹・紬の要尺が定められました。

曲尺で3丈2尺(約9.6m木綿は3丈4尺、

幅それぞれ1尺 4寸(約42cm)。(要尺の定めはその後、若干変化していきます)

 

当時は大工の使う曲尺(かねじゃく)なんですね。

江戸中期頃から鯨尺が出てきますが、

この鯨尺の導入の経緯がいまだによくわかっていないと

変体仮名を教えてくださっている先生が言っていました。

 

先生は文学博士で平安文学がご専門ですが服飾史も研究分野です。

賞を獲られた論文では、平安の衣装・仕立て・縫い物の

観点から文学を読み解いています。

 

反幅が安土桃山以前より狭くなっているとはいうものの、

42cmです。しかも当時の人は小柄ですから。

 

ということで、

ドラマで見る小袖は、実際とはまったく寸法が違うのです。

ドラマでは見栄えがするようにきものの反幅で仕立てた

小袖を着ているというわけです。

実際、機のことを考慮しても45cmで織るのは、いまは難しい。

 

ついでにいうと、いま袖は反物幅でとりますが、

当時は反物幅の半分から両袖をとっていました。

反幅が広いとはいえ、それでもやっぱり、

裄はとても短かったのです。

 

身八つ口もなかったので、腕の可動域も

そう広くなかったと思われます。

それで動いていたら、身頃が持ち上げられて、

それこそかなり着崩れたか、

もう脇に布たっぷり状態が常態、常だったのかもしれません。

 

利休の時代に正座が行われたともいわれていますが、

江戸時代に入ってから正座は一般的になってきます。

 

これは正座が一般的になって身幅が狭くなったというより、

身幅が狭くなって立膝ができなくなり、

正座が一般的になってきたと思うほうが

自然かなと思います。

 

でも不思議だなと思うのは機の変化です。

この対応ができたということですもんね。

このあたりはもう少し調べたいところです。

 

やがて反物幅は約36cmになるのですが、

現在は鯨尺で“しゃくいち”=一尺一寸=約42cm  という

幅もあります。基本、男物で対応ですが、

ユニセックスとして女性用でもOKですというものも多い。

細身・小柄な女性は、重くて、着にくいので、

よっぽど気に入った柄でなければ、

“しゃくいち”の仕立てはあまりお勧めしません。

 

それに、一尺一寸のユニセックスといえば、

大体、木綿、麻、綿麻で、夏物対応の生地が多い。

夏にそんなに、「縫い代」まで着たら(笑)

暑くてしょうがない、と思います。

 

ということで、今日も長々とでしたが、

こういう服飾史的なことを語らせると、

結構、止まらないくらい語っちゃいます(笑)。

 

そして今日の最後。

「小袖」は袂が舟形や長刀になっていますよね。

袖が「小さめ(短め)」だから小袖ではありません。

 

装束の「広袖」に対しての「小袖」なのです。

つまり、広袖は袖口全開、縫われていません。

それに対して、小袖は袖口を残して縫われています。

なので、襦袢は「広袖」となり、一般的なきものは振袖も含めて、

「小袖」になります。

 

 

 

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2017.12.20 Wednesday 22:14comments(0)↑ページの先頭へ

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